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![]() 行間を読む、という言葉がある。 直接表現されていない書き手の真意を読みとるという意味だ。 稲船塾という場においてこの人たちが伝えたいことは何だろうか。 稲船塾での話は例え話で進められることが多い。それはあるゲームや映画の話であったり、ある話題についてであったりする。 そこには一貫したモノがあると感じている。 常にシンプルであるということ、全てには理由があるということ。この2点だ。 シンプルでなければ人は理解してくれない、シンプルでなければ面白さは伝わらない、シンプルであればおかしな点を見逃さない 会社を興した理由がある、アイデアを採用した理由がある、このゲームを作りたい理由がある こういった具合だ。 では、最もシンプルな理由とはなんだろうか。つまりアイデアが浮かんでくる理由とはなんだろうか。 それは「好きだ」という気持ちであると言われた。好きではないことに対してはどれだけ力を入れても良いものはできないということだ。 この話題は和んだ場で軽い笑いの中話された。 私も顔は笑っていたと思う。だが、背中には冷や汗が垂れ、足は震えていた。 ここで言う「好き」とは「アウトプットできる好き」のことだと思う。 人に語れるということだ。 私はメカが好きだ、実験が好きだ、超常現象が好きだ、落語が好きだ、時代劇が好きだ、スパイ物が好きだ、戦争物が好きだ、絶望感のあるもの好きだ、料理が好きだ、可愛いものが好きだ、はら肉が好きだ、柔道が好きだ、ゲームが大好きだ。 しかし、それを自分は人に語れるほど好きだろうか? 語れないかもしれない。 そういう考えが浮かんでしまい、怖くなった。 これまで私はどういう気持ちでアイデアを出してきたかを振り返ってみる。 そこに私の「好き」は少しでも含まれていただろうか。 面白そうというぼんやりした外側だけを見ていなかっただろうか。 ギミックやシステムを中心に考えていなかっただろうか。 間違いなく、中心に置いておくべきものを置かずに考えていた気がする。 好きな物には必ず好きな場面がある。そしてその場面を思い浮かべることができるはずだ。 今週の話で、稲船さんがゲームを作る時はどうアイデアを出しているのかというのがあった。 それにはやりたい場面をひとつ思い浮かべる。そしてその場面を作り出すために、物語や前振りやシステムやキャラを構築していくのだそうだ。 理論を感情で包んではいけない。 感情を理論で包まなければならない。 理論を否定することはできても、感情を否定することはできないからだ。 好きを仕事にする、はHAL東京の文句だったと思う。 ほとんどの人が無意識に知っていることを私は知らなかったのか。 話は変わるが、最近「ガタカ」という映画を見た。 この映画は出生前の遺伝子操作により、生まれながらに優れた知能と体力と外見を持った「適正者」と、「欠陥」のある遺伝子を持ちうる自然出産により産まれた「不適正者」との間で厳格な社会的差別がある近未来を舞台としている。 つまり生まれる際に「可能性の天秤」に架けられる。 主人公ヴィンセントは不適正者として生まれるが、青年時代に適正者であるはずの弟アントンに勝負で勝ち、家を出ていく。 可能性の天秤を蹴飛ばしたのだ。 物語自体は蹴飛ばした後から始まるので、続きは自分の目で見て欲しい。とても面白いですよ。 何が言いたいかというと、稲船塾はこの兄弟の両親のようなものだと思うということだ。 ヴィンセントの両親は天秤を握ってはいたが、敢えて測らなかった。 私は稲船塾はとてつもなく特殊な環境だと思っている。 ここはある種の保護された環境で、僕らの出す意見に対し方向性を示すことはしても否定されることはめったにない。(山中曰く稲船さんは方向性を示す達人だそうだ) それはどんな立場の人間であっても、突拍子のないアイデアでも、クリエイターに向いていなかったとしても、否定はされない。少なくともここでは、だ。エンターテインメント業界に巣立っていく(であろう)人たちが玉石混合で可能性を試されている場といえる。 だから私はこう思う。保護された環境で自分を制限していてはダメだろうと。稲船塾を出た瞬間、石は弾かれるのだから。 制限をとっぱらうことの第一歩は、自分の意見を言うことだと思う。 しかし、意見を言うことはとても主観的であり、自身の心に対して真っ向から反論される可能性がある。その客観性はとても怖い。 だからこそ私は、必死こいて文章を考えるし、敢えてブログにNGワードを突っ込んでギリギリを測ってみたりするし、チームメンバーに若干ウザがられようとベラベラと主張したり、皆の話を聞きたいとしつこく迫ったりするのだ。 怖いからとブルっていられるか。 ここに来ている人たちは間違いなく私よりゲームを語れる人たちだ。そんな人たちと同じ皿に乗れているのはとても幸運だと思っている。 だが、最後にはその可能性の天秤を蹴飛ばして出ていきたい。 最後に、僕らのチームの現状はどうなんだろうか。ものすごく不安な状態だ。振り出しに戻ったことだけは判ってる。 目的地の方位も距離も判っていないかもしれない。もしかしたら目的地も。 上手くいってない時は嫌な考えばかり浮かんできて滅入る。
by inafunejuku
| 2013-10-25 20:13
| 第五期
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